まずは仕分けから
トマトを丸ごと食べるという行為をしなくなって久しい。子どもの頃は、腹が減ると台所に転がっているトマトをガブリと丸ごと食べたものだ。裏庭で作られたトマトは熟し切っており、何も付けずともおいしく食べられた。
かぶりついた途端ジュルッとしたたる中身をシュパパパーと口先で慌てて吸い込む、あの瞬間こそが「トマト丸ごと食い」の醍醐味であり、楽しみでもあった。
そう、私にとってトマトは「ドロドロあってこそ」であり、分かちがたいものなのだ。「特にドロドロがダメ」という発言にショックを受けたのも、このような経緯によるものであり、単に食に卑しいからではない(と信じたい)。
ドロドロの正当性を訴えるべく立ち上がった今回の企画、まずはその抽出作業から始めてみよう。 |